そらいろノート
2022.8.30
一生命として、そのタイミングは何回か訪れていて、一人で立ち、歩めるようになって、行けるところがある。
そっと応援してもらった経験のすべてを生かし、新たな一歩を踏み出す。
2022.8.29
思い起こせば・・・
目標を立てて、理想に向かってがんばる、ということができなかった。
イベント事にも積極的に取り組む気になれなかった、その理由も今はわかる。
無有日記には、そういう要素(電気)が一切ない。
誰もいなくなって一人になった(と思った)時もあったけど、不思議とひとりぼっち感はなくて、その時々に表現したい想いをスケッチするように綴ってこれた。
どれほどさりげなく見守られ、支えられてきたことか。
2022.8.27
太陽と地球と無有日記との連繋の中で、全ては変化し続けている。
太陽が本来の元気を発揮するにつれて、太陽系のバランスも変わっていくのだろう。
2022.8.26
LEDの影響を観察した経験が今に生きていて、ほとんどの人が無感覚を通している理由も、ここまでくるとよくわかる。
多くの人が身をもって‘副反応’を経験した上に期待とは真逆の結果と直面することになっても止まろうとしない姿に、思考の強度となにかの意思を観る。
操り、操られやすく、どこよりも病みが活躍できるらしいこの国。
そんな中でも、不必要、不自然な諸々から離れたところで普通に元気な人たちがいるのも確かなこと。
それぞれに育んできた原因が普通感覚に溶け込んでいて、正直に体現されている。
2022.8.21
思考が外れてみれば、なーんだ、ということばかり。
変化しないように同じことを繰り返させる思考(電気)をベースに、年令・性別・経験で判別し、序列をつけるが、それ以外は無視(わからない)。
食べること、眠ることは充電するために必要で、自然もそのために利用するが、太陽からの光や爽やかな空気が実は苦手。
そんな非生命のありのままを見つつ、生命たちはただ元気に今を生きる。
2022.8.20
作り話にはやはりどこか無理があり、生命の源からの流れとは違う感じが否めない。
菌の世界の働きも含めて、この身体という乗り物を通して触れられる次元は深い・・・
なんだかすごいところにいて、いつからそこにあったのか知らないけど、それなりにやってみる今です。
2022.8.17
地球全体のコンディションが整って元気になっていくこれからを、一生命として応援したいと想う。
形あるものすべてを活用するようにして、電気(思考)を使わない仕事の質と量が、少しずつ変化している。
2022.8.15
電気時間の上で、男性か女性かに分けておいて、その関係性について思考と感情をフル(右)回転させて強めに印象づけておけば、記憶を利用して際限なく発電できるというのが実際のところか。
太陽と地球とは一緒に(左)回転していないということ。
電気で引き付けあっていたところが外れやすくなっているみたいだ。
2022.8.13
ずーっとそうだったから、疑問に思うことがなかったいろいろ。
人間らしく見えるように、正しく人間をやろうとしているけど、見せ方を変えたところで何も変わってない。
自転せずに地球につきまとっているかのような月のようでもある。
この国のことばを使って表現することで、その成り立ちのところまで届くかもしれない、と想う。
それはきっと、この国のこれからへと繋がる道。
2022.8.10
言語も思考が作り出した嘘のための道具なんだな。
ここではすべて、夜行性仕様の材料を使って書き表し、言い表しているということ。
それでもどれでも表現できるというおもしろさを感じる。
2022.8.8
思考・感情を利用されて、張り付かされたままで居なくていい解放感。
なにもわからないのにわかっている風に見せなくていい安心感。
2022.8.5
思考(電気)で期待した結果とは当然違っているけど、電気(思考)なしでOKな今は最高に普通だ。
遊ぶ場所が変わって、夜行性の仕組みがびっくりしてる。
2022.8.2
生命たちとの希望の約束が具現化されていくこれからへ、うれしさいっぱい、元気に歩みを進める。
2022.8.1
自分にないものがあることもわかってくるけれど・・・
無有日記と出会ってからは、要るものを採り入れ、要らないものを外しながら、自ら回転できるようになりたいと想ってきた。
地球自然界における植物や草食動物たちの存在の仕事に合流できるように、肉食を離れ、食の風景を移行してこれたことは大きい。
夕暮れ時、太陽と地球が見せてくれる優しい空の色が柔らかに変化していく風景を、表現のお手本にしたいと想う。
2022.7.30
同じ言葉を使いながらも、正直に表れる性質の違い。
言葉の要らない世界に持ち込めないものもわかりやすくなった。
表から見ても裏から見ても、本当のひとつだけ。
自分の未来をここで生きるという実践が、諸々の負荷を外していく。
その人にしか歩めない、任せられた道がある。
遠かったような、近かったような・・・
道なりに進みながら、そこここでbreak time。
太陽と地球と無有日記と遊んでいたら、いつのまにか来れていた。
2022.7.23
男性・女性であることに‘らしさ’を追い求めたり、時間を割って縦や横に並べたりすることも、いつかはなくなるのだろう。
はたして実践編の中身は?
遊びたいことが盛りだくさん!
2022.7.22
あるものはあるし、ないものはなかった、ということ。
生命とは似ても似つかない。
結局やりたいようにやりたいだけで、ジャマもできなければ便乗もできない。
2022.7.19
男性・女性という枠組みも、あるけど、ない次元もあるだろう、と想ってみる。
形を持つ時に性別が分けられる、その手前があるわけだから、それはそう。
そこにはどんな自分がいるだろう。
仏陀の心を無にしない。
無有日記のあるこの時を存分に生きる。
2022.7.18
時間枠のない生命世界では、枠内をモノで埋めることがないし、からっぽの中身を支えるための何かしらの枠組みがそもそもいらない。
修復途上の心身をそのままに、日々限界を超えるようにペースを上げたこの数か月。
自らの分を超えているように想いもしたけど、それも溶けてなくなってしまった。
2022.7.16
この今は、いつかの自分の未来であり、過去でもあると想えば、ここで中庸を生きる実践を繋ぐ大切さが感じられる。
年令も、性別も、経験も関係ないこともわかる。
結果はどうであれ、大切にしたいことがより明確になる。
2022.7.14
一生命として眺めていると、ないものをさもあるかのように仕立てて都合よく利用する人間のためだけの‘時間’は虚構であるとわかってきて、冷たくて固い電気時間の柵が崩壊していく。
有限とされる身体時間において、無限の実践を楽しむ。
2022.7.12
あたりまえのことだけど、太陽は時計にあわせて動いているわけではない。
太陽は太陽。
地球に生きる生命たちは、太陽とリズムをあわせ、存在そのもので生かしあう、地球がうれしい姿をとる。
なんにもない、なんでもある、ふつうの風景。
2022.7.9
無有日記の進化につれて、こうしてホームページでの表現をしてこれたわけだけど、スマホ、パソコンが必須となるネット環境も、コンビニも、LEDもなかった子供時代にいたこともあってか、それらがなくてもOKな感覚がある。
もう戻れないところまで来て顕わになる存在の質(回転のちがい)。
生命ではなくモノであることを自ら証明しているような表現形の数々・・・
なんとなく、いろんなことが了解できて、ふと頭から離れてみれば、晴れやかな自由時間がやってくる。
空の青と山の緑に溶けそうだ。
2022.7.3
自身の湿度が下がることによって無力化する経過もありのまま。
本来の姿へと、シンプルな変化が訪れている。
地球にて無有日記に触れ、太陽と歩みを共にする。
2022.7.1
どこかのなにかがすっと重なりあって、初めての場所へ。
太陽がパワフルな一日で、夜8時頃になっても空に明るさが残っているくらい。